津原泰水氏の「新人賞の審査員に新人の域を出ていない作家を採用するということに対する疑義」を呈した文章に対して、川上未映子氏が「事実と違う点がある」と異論を述べたという経緯。
この件について、当人同士には直接の対話はなく、ただ津原氏の掲示板に、川上氏のファンと思われる人たちからの批判的な書き込みと、それに対する津原氏擁護派(といっていいのかどうかわからんが)からの書き込みが続いているという状況。
津原氏が呈示した疑義については、そういう疑問もさもありなんという気はする。ただ、件の文章においては、まあ書かなくてもよかったんじゃないかとおぼしき事柄もなきにしもあらず。とはいえ、いずれにしても、川上氏を直接攻撃するような明確な文章はないように思う。
川上氏のほうも、津原氏の文章に対して「事実と違う」部分を修正したいという意図ではあったのだろうし、内容からも津原氏を批判するようなニュアンスは感じられない。
ただ、決定的に違うのは、コメント欄を閉じている川上氏が、自分の言いたいことのみを一方的に書き込んで終わりとしているのに対して、津原氏のほうは、第三者の、批判と擁護が入り交じった多数の書き込みに見舞われているという点。
その多くの書き込みに対して、津原氏はかなり真摯な姿勢で対処しておられる。実は、今回の件ではこの津原氏の姿勢にいちばん感銘を受けている。
一方川上氏は、津原氏の文章へのリンクを差し込んでいる以上、
最初からわたしは津原さんと対話などするつもりは一切なく、読者の方に時系列を再確認していただくためだけにこの日記を書きましたので、読者のみなさまも津原さんのサイトにこの件で書き込みなどされずに、一切関わり合いを持たれませんように、できましたらよろしくお願いいたします。勝手なお願いで申し訳ございません。
この件は時系列だけがすべてで、対話などまったく必要ありません。
[未映子の純粋悲性批判: 事実関係についてより引用]
などとしてもまったく無駄である。ファンとしては、書き込めるところがあればなんだって書き込むものだろう。対応するのは津原氏の勝手という見方もできようが、対話の必要のないことを多くの人が見るブログに書き込むというのはどうか。この程度のことであれば、当人同士でいくらでもケリのつけようはあるだろうにとは、津原氏も同様のことをBBSで書いておられる。
川上氏が新人賞の審査をすることに対する疑義、についての反論や意見はほとんどなく、津原氏からすれば本論から逸れた部分での論議に終始していることに対する徒労感は如何ばかりかと想像する。対話の必要も議論の必要もないというのならば、こういう状況になっていることに対して川上氏はどうお考えかと問いたい気持ちにもなるのだが、残念ながらそれを問い合わせる手段は用意されていない(川上氏のブログにはコメント欄もなければ連絡先の記載もない)。
この件については、どっちが正しいとかではなく、そういう不公平感が妙に目立つのである。
ちなみに、川上氏が反論されている津原氏の文章のこの部分(『***』の部分は引用者による伏字)、
「どうしたら芥川賞をとれますか」という川上さんの質問に、「一頁めに『***』か『***』という言葉を入れたら」と僕は答えた。その通りにして、彼女は受賞なさった。
[爆弾かもね | aquapolis掲示板より引用]
については、「その通りにして」の部分を川上氏が勘違いしているように思えるが、まあそれは本筋とはあまり関係がないかもしれない。
あれ? いつから1時間減ったのだろう、とその程度の認識しかなかったフジの26時間テレビ。最初の頃はその組み合わせに新鮮味もあったヘキサゴンファミリーも、あれだけ露出が多くなってくると、飽きが来るというか見てて単純に気持ち悪い。野久保直樹が今どこでどうしてるかは知らないが、この気色悪いファミリーから抜けて逆にすっきりしてるのではないかと思ったりもする。
んでその26時間テレビの今回の目玉は、ヘキサゴンファミリーによる24時間駅伝だったそうで。この手の、出演者に無理させて“感動”を作ろうとするのは日テレがお得意だと思ってたんだけれども、いつの間にかフジもそれに倣ってるようで。以前は27時間テレビというと“おもしろさ”だけに特化してて、その吹っ切れた感じが好ましかったりもしたのだけど。
深夜に駅伝をする小島よしおを見て浮かぶストーリーは「断ったら干されるんだろうな」だけである。この企画に純粋に感動できるのは、「自分の与えた無理難題をこなそうとする忠誠心」に感動する島田紳助だけであろう。もはや視聴者はおいてきぼりなのである。そもそも、やらなくてもいいようなことを「感動」を生み出すためにやらされている、という本末転倒に気付いた途端、感動とは程遠い感情しか湧いてこなくなるのだ。
[2010-07-25 - なんでかフラメンコより引用]
日テレもそうだけど、なんでわざわざやらなくてもいいことをやらせて無理やり感動を作りだそうとするのか、というのがもう意味不明で。そんなに国民は感動ばっかり求めてるわけじゃないし、作りだされた感動に左右されるほど馬鹿じゃないんで。視聴者をナメているとしか思えない番組作りにうんざりしつつ、深夜の、いちばん注目度の低い中“自分のために”走り続ける小島よしおに同情するというのがかなりの視聴者の見方だったんじゃなかろうかと。
非常に素晴らしい作品でした。直木賞受賞も当然だろうという出来。ある女中の回想で綴られる、昭和初期のひとつの家族の物語。墓まで持って行こうと思っていた女中の思いとは一体なんだったのか。
以下、ネタばれ含みます。
女中の回想が全て本当のことだとは限らない。女中の甥の次男が、「おばあちゃんの話は嘘だ」と時折指摘するのは、そのことを暗にほのめかしているのではないか。
回想の中の嘘とは……
手紙を渡さなかったことで、板倉氏が徴兵のため故郷に帰る前日の話は、実は女中のつくり話ではないかということも考えられる。女中の、奥様に対する一途な思いが、手紙を渡さなかったことに対する贖罪を、実際はありもしなかった出征前日の物語にすることで果たさせたのではないかという気さえしてくる。
……ってのは考えすぎなのかねえ。ネット上をざっと見た限りでは、そういう説に行き当たらないので、あまり自信はない。